2023-12-13
コラム
そういうことなんじゃないかなぁ?
ヤマクラさんが亡くなってから、あと3ヶ月で10年になる。
頼りないところもあった人だったが、地域活性化活動の師であり、本当に良くしてもらったし、彼から多くのことを学んだ。
僕が第一発見者だった。
前日まで準備してきたイベントの当日本人が姿を見せないので、心配になって夕方家に行き(1ヶ所鍵をかけないシャッターがあるのを本人から聞いていた。)、浴室で倒れているヤマクラさんを見つけた。
翌日だったか、1本の電話がかかってきた。出ると耳元で、馴染みのある照れた様な人を喰ったような声が言った。「ヤマクラです。」!!!僕は言葉を失った。二の句が告げなかった。これはドッキリカメラか?「どうです?私の死んだふりなかなかのもんだったでしょ?」と笑いながら切り出すのかと思ったが、もちろんそれは叶わなかった。声の主はヤマクラさんの兄上だった。声が似ていても不思議はない。
似た様なことが他にもあった。今度は実の父である。急の訃報を聞いて取るものもとりあえず帰郷した僕は、葬儀を終え実家に戻り風呂に入ったあと、亡くなった父のパジャマを借りて着た。夕食の準備はできており、先に食卓についていた一同が、ダイニングに入ってきた僕の姿を見て「えっ!?」と声を揃えて言った。背格好といい、ちょっと猫背気味の姿勢といい、亡くなったばかりの父にそっくりだったのだ。
ちょっとオカルトめいた話になるが、死者が誰かの体を借りて、こんなふうに最後のお別れに来るということはありえるのではないかと、そんなふうに思う。ある意味では、電話の兄上はヤマクラさんだったし、食卓に現れた僕は父だった。
人間は、物理的な肉体の存在のみに依らず、他社からの認識をもってしてその存在が補完されると考えれば、故人にもう一度会いたいと希求する残された者の強い思いが聞かせたその声、見せたその姿は、ほんの一瞬ではあるが、故人の存在そのものに限りなく近いものではなかったか?
そういうことなんじゃないかなぁ?と思う。本気で。