2022-07-08
コラム
AKASHA~時の軌跡
東京都千代田区、紀尾井小ホールへ聴きに行ったのは、篠笛奏者鳳聲 晴久さんのリサイタル。
晴久氏、基本邦楽の人なのだが、リサイタルの核となるのは晴久氏の篠笛、大口俊輔氏のアコーディオン、多井智紀氏のチェロ。東京芸大で同期だった3人によるアンサンブル。曲によってはそこに内藤歌子氏のバイオリンと田嶋真佐雄氏のコントラバスが加わるJ.S.バッハの美しい演奏の数々。
それと好対照をなしていたのが2幕目の1曲め、大小のつづみと掛け声そして笛、純然たる和楽器による囃子構成曲『鷹』。このシンプルな編成によって繰り広げられるそれは邦楽にして同時にジャズであり前衛芸術だった。相手の発した掛け声のトーンやつづみのリズムに呼応するかたちでもう一方のつづみや掛け声、そこに笛が、荒野に吹き荒れる疾風のように絡んでゆく。奔放にかすれ、揺らぎながら。
音が淀みなく流麗に刻まれることを要求するバッハが遺した音楽と、和笛の魅力と言える音のかすれや揺らぎには相容れないものがあるが、アンサンブルは、技能の鍛錬、豊富な経験、チームワークで、それを凌駕する道を模索し続けるだろう。
そして圧巻だったのが、最終曲『AKASHA~時の軌跡』。バッハの5人に加え、三味線、様々な珍しい打楽器、鈴や風鐸と呼ばれる鐘のような楽器。それらが、現代音楽のフィールドに置かれることで、それぞれの背景にある”ジャンル”という呪縛から解き放たれ、その楽器の持つ音の味わい、魅力のみが自由に舞い、引き立て合い、無二のハーモニーをかたちづくってゆく。突然挿入される、ロケット発射前の通信の録音だろうか?英語のやり取りの音声が、聴くものをさらに遠い時間、場所へと導く。
そしてすべての楽器が一つの朗々たるメロディを奏で始める。なんとなくインドの旋律のようだなと思っていると、舞台右のほうから鈴の音。見ると、コントラバスの弦を弾くその手首に、ベリーダンスで足首につけられるような鈴が巻かれ、弾む低音のリズムに合わせ清らかな音を奏でている。梓弓と呼ばれる楽器は、イタコが霊を呼び寄せ厄災を払う際に用いられたものを復元したのだという。こんな風に様々な仕掛けが一曲の中に散りばめられている。
この曲は、理学博士吉田信夫氏の著書『時間はどこから来て、なぜ流れるのか?』から着想を得たものだということだが、聴いてまず浮かんだ言葉は”森羅万象”。世の中のあらゆる垣根を取り払い無限に広がる世界。華奢で普段物静かな晴久氏の内面にこれほど壮大なものが抱かれているのかと、これは、すごいものが誕生した瞬間に立ち会えたのではないかと非常に感激した。
先日この本を購入。時間を見つけてはわずかずつだが読み進めている。