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2022-12-12

コラム

「コトバのない冬」と言葉を失う僕

とても気に入った日本映画があった。「コトバのない冬」という、俳優の渡部篤郎氏主演にして初監督作品。日本映画専門チャンネルで観た。全く派手さのない映画、北海道の小さな町で生活を営む人々の日常を淡々と描いてゆく。
父の牧場を手伝うヒロイン(高岡早紀)には、アメリカに行ったきり便りの途絶えたフィアンセがある。ある日高岡は落馬して記憶を失う。まず第一に気に入ったのはこの部分の表現。実際に落馬するシーンはなく、場面は突然病室となり、父親と見舞客の会話の中から落馬のことがわかる。つまり観ているものも高岡同様に、落馬の記憶の欠落による蝋梅を味わったままストーリーの中に引き込まれていくのだ。
退院はしたものの記憶の戻らない高岡は、冬の遊園地で働く口のきけない男(渡部)と出会い惹かれあうようになる。渡部は会いたくなると高岡に電話するのだが当然無言。高岡は無言電話を受けると彼だとわかり会いに出かけるという日々。
次第に記憶を取り戻し、反対に渡部との記憶を失う高岡。折りしもアメリカからフィアンセが戻り、以前の生活に戻る。 
そうと知らない渡部は同じく無言電話をかけるが、今の高岡には単なる無言電話に過ぎず無造作に受話器を置く。雪に囲まれた公衆電話ボックスで呆然と立ち尽くす渡部。
これで終わり。呆気なさすぎる幕切が余韻となって残った。同じ無言電話が、受ける人間の状況の変化によって全く意味を失うという非情な現実。それだけを描写し、締めくくる。実にクールだ!とても気に入った。
これは日本映画史に残すべき秀作だ。そう思った僕はあの余韻をもう一度味わいたくDVDを購入した。ところが、エンディングが僕の記憶と違っていた。肝心の最後の無言電話のシーンはなく、暗い部屋で受話器を握りしめ悲恋に咽び泣く渡部の姿で終わっている。このエンディングは陳腐だ!無言電話を切られるシーンが、発話障害者を愚弄しているという批難を避けるためなのだろうか?
非情な現実の描写によって高められる文学的価値をとるのか、あまねく聴衆に受け入れられる商品であろうとするのか難しい問題ではある。
それとも単なる僕の記憶違いだったのか?

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