BLOG

ブログ

2023-02-11

コラム

SAYONARA ”ゆったん”

今年1月半ば、おそらく多くの音楽ファンにとってショックな訃報が世界中を駆け巡った。高橋幸宏。1970年代後半から80年代にかけて世界的に人気を博したグループ、イエローマジックオーケストラ(YMO)のドラマーでボーカリストが亡くなった。毎年様々な著名人の訃報に触れるが、これほどまで自分が青年期に影響を受けた人の死は初めてだった。彼が武蔵野美術大学の出身でなければ、僕自身美大の受験を考えなかったかもしれないくらいだ。実際当時の美大生の8割くらいはYMOにカブれていたと言っても言い過ぎではないだろう。軽快でポップな音楽を愛した人である一方、若い頃に不安神経症を患った経験もあってか、陰鬱でありながら刺激的でそれ故スカッとする(脳みその痒いところを掻いてくれるような)独特の世界観を持った音楽も数多く産み出した。基本能天気な僕だが、時には心を病みそうな不安に駆られることもある。それでも心の均衡を保っていられるのは、若い頃に彼のそんな音楽に多く触れたことで、鬱的なものに対する耐性が備わったのではないかと思っている。
彼の訃報を受けての数週間、寂しい気持ちを癒そうと僕が試みたことは、他のミュージシャンがどのように弔意を述べるかを探ることだった。RADIKOのタイムフリーなら過去1週間のラジオ放送を遡って聞ける。特に印象に残ったのは桑田佳祐のコメント。桑田と高橋がご近所付き合いをしていたのも初耳だった。夜中に桑田の家に夫妻で集って、ビール飲みながらギター抱えて大好きなビートルズを歌いまくる大スターふたり。ファン垂涎の光景である。夜も白みはじめ、体を気遣って帰宅を促す高橋夫人、それでも酒と歌が止まらない高橋に、止むなく桑田がやや語気を上げて声をかける「ゆったん(桑田は高橋をそう呼んでいたそうだ)、もう帰って!」
ダイニングに流れる数秒の沈黙、そしてクールでお茶目な高橋は何食わぬ顔でこう続けたそうだ。「桑田くん・・・”HELP”歌おっ!」

CATEGORY

デザインビスプロジェクト
代表:堀井政利

〒285-0867
千葉県 佐倉市八幡台1-9-2
​​​​​​​TEL 080-1927-0765

(c) 2022 千葉のデザイン事務所/パッケージ・チラシ・ロゴなら「デザインビスプロジェクト」へ  All Rights Reserved.