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2022-04-12

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父の声の記憶(結構笑えてちょっと泣ける話...のはず)

僕と兄が小学生の頃、家に森進一の「港町ブルース」のシングルレコードがあって、ふたりで面白がって聴いていると、サビの「みぃーなとぅおぉーー」のところの声が、父の声に似ているのではないかという話になった。目をつぶってその部分を繰り返し聴いては、「港町ブルース」を熱唱する父の姿を思い浮かべてふたりで笑い転げていた。確かにいつもちょっとハスキーな父がこれを歌えば森進一に肉薄するのではないか、と期待し、父にせがんで歌ってみてもらったのだが、当然森進一のように上手く歌えるわけはなく、結果は予想をはるかに下回る出来栄えだった。
それでも、元来歌好きの父は、晩年は地元のカラオケ教室なるものに通っており、メキメキと腕を、いや”喉”を上げていたらしい。兄の長男、つまり僕の甥っ子の結婚式の時は大変にご機嫌で、北島三郎を、ジェームス・ブラウンも顔負けなくらいソウルフルに歌い上げてくれた。事実上手かった。あの歌唱力でぜひもう一度「港町ブルース」を歌って聴かせてもらいたかったけど...
甥っ子に長女が誕生した時にも、これまたご機嫌で電話をかけてきた。自分にとっては初孫の子供で初めてのひ孫だったし、甥のお嫁さんのことをたいそう気に入ってもいた。実際、シンプルでほんわかとして可愛らしく、でも芯の強いところのある女性だ。その上、そのひ孫の生まれた日が自分の誕生日だというのだから、父の喜びはひとしおだった。予定日はもっと早かったのだが、自分と同じ誕生日になるに違いないと言い張っていたらほんとにそうなった!と声を弾ませて僕に話して聞かせた。
この電話の声が、僕が聴いた最後の父の声ということになる。
父が午前中に事故にあい、運び込まれた病院で息を引き取ったと、深夜に兄からの電話を受けたのはそれからわずか10日後のことだったから。
あまりにもあっけない別れだったし、亡くなるまでの十数時間はそれは痛く苦しいものだったろうけれど、その後入院が長引いたり、不自由な身体になったりして周りに迷惑をかけることなく旅立てたのは、父の性格からすれば本望だったのではないかと思う。そういう人だった。
僕の頭の中には、北島三郎を熱唱する父の声と、ひ孫誕生の報告をする父の声がいつも残っていて、上機嫌で良いことだけを信じて過ごしていれば、たいがいのことはうまくいくもんだよと言ってくれているような気がする。
今、森進一の「港町ブルース」を聴いてもやはり父の姿が思い浮かぶだろうか...まだ試してみていない。

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